令和元年度 名張市戦没者遺族連合会 総会における会長あいさつ

2019.07.19

五月一日に、元号が「平成」から「令和」に変わり、過去の歴史がはるか彼方に遠のいて行きます。

私たちは、過去の戦争で亡くなった戦没者の遺族です。あの戦争で三百万人以上の戦死者を数えた悪夢の時代が、昭和二十年八月十五日に終わり、早くも七十四年目の歳月が過ぎ去りました。戦死者の内の一人が、私の兄であり、皆様の父であり、身内の人達なのです。私たち遺族は、あの戦争の愚かさを記憶して、その事実を後の世に伝えるために「新世代の会」を発足させました。

戦争とは、手段を選ばずに人を殺すことです。そして自分も殺されるのです。今私たちは戦争を知らない自由と平和の中で生きています。平和という言葉かマンネリ化して、ヌクヌクと生きているのです。幸せな世の中に生きる喜びを、戦没の方たちに感謝をしなければならないのです。

今日までの日、名張市内の十数カ所で、各地域の「まちづくりの自治体」が主催された戦没者追悼式が執り行われ、戦没者の追悼と平和な国つくりを誓う式典が実施されて、遺族としては大変ありがたく心に刻みました。

戦没者遺族会は、不運な時代に巡り合い、軍国主義の犠牲になった市内1千人を超える戦没者の御霊を、永久に御祀りしていく団体です。それから、名張市が行う行政には、すべての面で協力する団体組織です。愚かな過去を永久に反省して、戦没者のご冥福を祈り続けることを、主目的とするのです。戦争を知らない若い世代の方たちに、生きている私たちは、過去の悲惨な戦争の事実を伝えていくのが任務なのです。

米軍が沖縄に上陸して敗戦が濃くなっても、「本土決戦」と言い張った軍国主義の悪夢。広島、長崎に原爆が落ちて、ソ連の参戦を許した軍国主義。名張地域では、赤目口駅構内での機銃掃射事件。美旗の町の焼夷弾投下事件。青蓮寺へのB29墜落事件。そして一千万人を越える戦死者。当時の軍国主義の独断横暴が戦争を長引かせ、日本の国を焼け野原にさせた歴史的愚策を記憶したのでした。

今は、戦争よりも「まちつくり」です。福祉を中心のまちつくりが市域を挙げて動いています。わたしたち遺族連合会は、福祉協議会の中の仲間です。遺族会の皆様。みんな随分と高齢になりました。まずは自分の健康から始めましょう。私は数え年九十歳になりました。幸い健康を保持し残り一年の「遺族連合会長」の任期を務めて行きます。皆様の助言と協力をお願い申し上げます。

         令和元年五月二十日  名張市遺族連合会 会長 山口繁一